平和な土曜日の朝、その惨劇は前触れもなく訪れました。朝食を終え、家族が順番にトイレを利用していたとき、最後に使った妻が「水が引かない」と声を上げたのです。最初はよくある紙の詰まりだろうと楽観視し、ラバーカップを数回押し当ててみましたが、事態は改善するどころか、ゴボゴボという不吉な音とともに、便器内の水位がじわじわと上昇してきました。数分後、さらに恐ろしいことが起きました。トイレを使っていないのに、浴室の排水口から茶色い水が逆流し始めたのです。家全体の排水機能が完全に麻痺したことを悟った私は、パニックになりながらも、以前読んだコラムの内容を思い出し、庭にある汚水枡の蓋を確認することにしました。蓋は芝生の下に半分埋もれていましたが、なんとか探し出してマイナスドライバーでこじ開けると、そこには目を疑うような光景が広がっていました。丸い枡の淵まで、トイレットペーパーと汚物が混ざり合った「黒いスープ」が並々と溜まり、一滴も下流へ流れていなかったのです。原因は一目瞭然でした。枡の接続部から侵入した庭木の細かな根が、数年かけて巨大なマリモのような塊に成長し、配管を完全に塞いでいたのです。私たちは業者を呼ぶことも検討しましたが、週末ということもあり、到着まで数時間はかかると言われました。背に腹は代えられないと決意した私は、古い雨合羽を着込み、ゴミ袋を手に取り、手作業でその「根の塊」を取り除く作業を開始しました。鼻を突く強烈な死臭のような匂いに何度も挫けそうになりながらも、家族が交代でバケツを持って汚泥を運び出し、ようやく根の主幹をノコギリで切断した瞬間、溜まっていた汚水が「ズズズッ」という凄まじい音を立てて、一気に下流へと吸い込まれていきました。その音は、私にとってどんな音楽よりも美しく響きました。その後、徹底的に枡の中を洗浄し、全ての配管が通ったことを確認したとき、家族全員が戦友のような絆を感じていたのは不思議な経験でした。この事件以来、我が家では毎月第一日曜日を「汚水枡点検の日」と定め、子供たちも一緒に庭の蓋を開けて確認するようになりました。あの日のパニックは、当たり前に水が流れるという文明の恩恵が、いかに脆い基盤の上に成り立っているかを教えてくれました。トイレは流れて当然という思い込みを捨て、その先にある汚水枡を自分たちの手で管理することの大切さを、私たちは身をもって学んだのです。もしあの時、汚水枡の存在を知らなければ、私たちは業者に多額の緊急出費を支払い、一日中不安な時間を過ごしていたことでしょう。自分の家の仕組みを知ることは、自分たちの生活を守る力になるのだと、今では確信しています。
ある日突然訪れるトイレパニックと汚水枡の反乱に立ち向かった家族の記録